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県庁所在地:長崎市

長崎県は東に佐賀県と隣接する他は、周囲が海に囲まれています。また長崎県には、約600の自然に恵まれた「しま」があります。これらのしまは「国境のしま」と呼ばれる対馬、玄界灘に浮かぶ壱岐、東シナ海に連なる五島列島、県北の海域に散在する平戸諸島、西彼杵半島と長崎半島に沿って点在する西彼諸島からなります。
海岸線の延長は4,203kmにおよび、北海道に次ぐ全国第2位(北方四島を除くと第1位)です。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長いのは、数多くの「しま」と、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためです。長崎県全域に83箇所の港湾が点在しているものこの地形の特徴です。
主要山系には雲仙山系、多良山系、国見山系があり、多良岳、国見山の両山系は佐賀県との分水嶺となっています。
このような長崎独特の地勢や風土は、生産技術や文化に影響を与え、産地ごとの独自の工夫や栽培法を通じて多彩で個性あふれる食材を生み出してきました。
また、佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊や米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯しています。
観光産業も発達しており、ヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスは韓国や台湾からの観光客にも非常に人気があります

「長崎」という地名の由来は次のように長崎氏よりと言われている。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、少数意見ではあるが元弘3年(1333年)、北條氏が新田義貞の軍勢に鎌倉を襲われて滅ぶと、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の執事をつとめていたことのある長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説がある。
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